こんにちは。しむ(@46sym)です。
前回の記事でお話した通りですが、ニコンのD850から乗り換えでFUJIFILMのX-H1を購入しました。
関連 FUJIFILM X-H1 レビュー 富士フイルムの本気を垣間見るミラーレス一眼
わざわざ一度FUJIFILMから高画素機に移行したのに、完全に出戻りです。
これでいま手元にあるカメラがX-Pro2とX-H1、(使われないので半ば僕のものだと思っている)嫁のX100Fと、FUJIFILMで統一されました。
一度は満足できずに手放したFUJIFILM。最高を手にしたと感じていたD850。
そんな僕がなぜFUJIFILMへの統一を選んだのか、そんな事をつらつら残しておこうと思います。
このコトバコを読んでくれている方は重々承知だとは思いますが、完全にカメラ沼の深淵からの意見ですし、気持ちの移り変わりが激しい僕のこと。
来月には全然違う事を言っているかもしれません。もう明日だけど。
僕自身も今の気持ちを忘れないように、今一度記事にしておこうと思います。
僕がFUJIFILMを選んだ理由
FUJIFILMを好きになりたくて、好きになれなくて高画素機に戻って、やっと今FUJIFILMが好きになれた。
乗り換えまくって今更気づく事ができた、いろんなことをまとめておきます。
「キレイな写真」は、機材の力で撮れる
α7RII、α7RIII、D850と所有して感じたのは「キレイな写真ならお金を積めば撮れる」という事。
高画素、高精細のフルサイズセンサーを積んだ一眼レフ、ミラーレス一眼であれば、キレイな写真は撮れます。
大三元ズームや、ヌケの良い大口径の単焦点レンズを使うと、さらにキレイな写真が撮れます。
僕は今までそれを是として、最高にキレイな写真を追い求めてきました。
「キレイな写真」で残せるもの
じゃあキレイな写真で何を残せるかというと、高品質な高画素機を活かして、カリッカリのシャープな絵が撮れます。
風景を撮れば誰もが羨むような、鮮やかで精細な描写が得られます。
今だから言えるけど「しむさんの写真、キレイですね!!」と言われることに満足感を覚え、増長していたと思います。
改めて冷静になった時、キレイな写真にどれだけの価値があるのかな、と。
とりあえず、ものすごくお金を投資してる証にはなる気がします。お金はかかってる。
そうなってくると当たり前のごとく、僕よりコストを抑えて、僕より上手い写真を撮っている人ってそれこそ星の数ほどいるわけで。
いいなと思える人の写真を見て感じたのは、それぞれが「人の心を動かす写真」を撮っているという事でした。
「心を動かす写真」はキレイな写真とは限らない
少なくとも僕の心を動かした写真というのは、高画素高精細なカリカリの写真ではありませんでした。
それは日常のスナップであったり、家族写真であったり、風景写真であったり様々ですが、どの写真もそこにストーリーがあり、背景があるんですよね。
より抽象的な言葉にするのであれば、空気感。
画質的な意味ではなく、その写真そのものが持つ空気が違うんです。
生きた写真と言い変えてもいい。
そう言った写真には何かしら心を動かされるものがあるし、それは必ずしもキレイな写真である必要はない。
スマホで昔撮っていた写真を見返した時に、残しておきたい写真というものを考える様になったわけです。
この一枚もそう。正直技術的には拙いし、構図もイマイチ。色々直したいところもある。
だけど、夫婦だからこそ距離が近すぎてシルエットが重なっちゃってるところとか、一発撮りだし寒いしでブレてるところとか。
その時が思い出せる写真なので、これ以上詰めて撮るのはやめました。一枚だからいいんです。
これはあくまで僕と妻の物語が詰まった写真で、見る人に向けた写真ではないかもしれません。
ただ「写真に思いを載せる」という事。一枚の写真に物語を込めて表現する、と言う行為に対して、高画素機は必要ありませんでした。あくまでも僕の場合は。
X-Pro2とXF16-55mmF2.8 R LM WR
このブログ内では何度も話している通り、僕がFUJIFILMに染まったきっかけはこれです。
関連 たったひとつの変化で、僕のFUJIFILM X-Pro2が最高の相棒になった話
このレンズは「いつかX-H1を買い増した時に便利に使えそうだよな」という打算的な部分もあったのですが、これがX-Pro2にもすごく良い効果を与えてくれました。今では生涯添い遂げても良いほどの相棒です。
関連 【作例写真】FUJIFILM XF16-55mmF2.8 R LM WR レビュー。全方位無双の大三元ズームレンズ!!
上で紹介した2つの記事でほぼ全て語り尽くしているのですが、僕が今まで触ってきたカメラ、レンズの中でも抜群に良いレンズ。
なんかもう語彙力がアレなんだけど、全ての不満を吹き飛ばしてくれたほどの最高なレンズ。
とにかく一度使って見てほしい。最高だから。
これを手にした事によってX-Pro2の出番が爆発的に増えて、ほとんどのシーンをこの組み合わせで撮影する様になった。
これはお世辞抜きにフルサイズにもまけない描写力を持ってると思う。
FUJIFILMで、星も撮れる
僕が写真を撮る中でも多く趣味としていたのが風景写真。その中でも、やっぱり星の写真は好きなんですよ。
フルサイズを離れると言う事はISO高感度に弱くなると言う事で、ノイズとの戦いは必至。
そうなると必然的に星景写真は厳しくなるかな、と思っていたんです。
でもそれって大きな間違いで、実際に撮って見たら分かるんだけど、これ以上なく最高の天の川が撮れるんです。
関連 FUJIFILM X-Pro2で撮る天の川。APS-Cでも星景写真は撮れる。
この写真が撮れた日に、フルサイズへの未練はなくなりました。
「僕が今求める写真は、FUJIFILM X-Pro2で全て撮れる。」というのが間違いないものとして見えたのです。
厳しい環境でも同等の写真を撮る事ができる、X-H1の存在
X-Pro2が最高の相棒になってからというもの、Nikon D850を持ち出す機会が減りました。持ち出しても使わない機会が増えました。
軽快に求めるクオリティの写真が撮れてしまう、X-Pro2(とXF16-55mmF2.8)の存在が大きすぎました。
じゃあ後は何を求めるかと言うと、撮影の安定性。
X-H1の存在は僕の中で
- レンズとボディのバランスの悪さを解消できる
- ちょっとした夜景であれば手持ちでも対応できる
- X-Pro2と同じクオリティの写真が撮れる
という位置付けです。特に重要なのは最後の「X-Pro2と同じクオリティで撮れる」と言う事。
操作感はまるで違うのですが、全く同じセンサーを積んでる以上、同じ絵を撮る事ができるわけです。
これは同じレンズ、同じ設定で撮れば同じ写真が撮れると言うわけで、安定性を考えたら最強。
僕はまだまだ未熟なので、レタッチとか現像とかスキルが足りません。
そんな僕にとって、同じRAWで同じ様に現像できると言う意味で、同じセンサーはすごくありがたい。
それでいて環境耐性も高くて手ぶれ補正もある。
手ぶれ補正自体はそれほど重要視していないけど、あるに越した事はない派です。
まだ1日使っただけだけど、操作性も他のレフ機とそれほど変わらないし、快適そのものです。
X-Pro2とX-H1の住み分け(使い分け)
基本的には手軽なお出かけの時はX-Pro2。ガチ撮影はX-H1というスタンスのつもり。
やっぱりX-H1の三軸チルトだったりの操作系統は撮影そのものの負担を減らしてくれるので。
コンパクトで気軽に持ち出せるX-Pro2と、大きくて重いけど撮影者に優しいX-H1という形に分かれると思います。
2台持ちする時はX-H1にズームレンズ、X-Pro2に単焦点。
大きいボディのX-H1には50-140mm、X-Pro2に16-55mmとつける事で、標準から望遠まで幅広くカバーできるのもありがたい。
まだ2台持ちが必要なほどのシーンには出会ってないのですが、これからいっぱい出てくると思います。いや楽しみ。がっつり使い込みたい。
自分が愛着を持って使えれば、カメラなんてだいたい同じ
こんな簡単な事に気づくのに、ここまで常軌を逸した数のカメラを入れ替えて来ました。
いろんなカメラを使って感じたのは、解像度も、画質も、描写力も、空気感も全部別のもので、これをごっちゃにして考えてると訳わからなくなるな、と言う事。
解像度が高いから良い写真と言うわけでもないし、自分が撮りたい写真をはっきり見据えた時に、必要なものとそうでないものが分かる気がしました。(カメラは2台必要です)
なんか僕が言っても全然説得力ないし、僕自身「買い換えません」なんてもう全く言えないんだけど、自分が好きなカメラを手にすると、スペックなんてどうでもよくなるんですよ。
また「高画質な写真が良いいいいぃぃぃ!!!!」なんて言いだす時がくるかもしれません。多分その時はPENTAXのK-1シリーズ買います。
でも今は必要ない。
好きなカメラで好きな写真が撮れる。
画質よりも大切なものが写真にはある。
画質を語るよりも先に「その写真で何を伝えたいのか」を磨くことが大切だなと。
これからも家族写真と風景写真を懲りずに撮っていきますが、大切だと思える写真をたくさん撮っていける様になりたいなぁ。
まずは自分の心を動かす写真が当面の目標です。キレイなだけでは終わらない、そんな写真を撮れるようになりたい。
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