今日、久しぶりにシャッターを切ったんですよ。
シャッターを切った、どころかカメラを触るのも一ヶ月ぶり。写真に飽きたわけではないんだけど、外出するにも気を使う現状に滅入ってしまって、すっかり家を出ることすら億劫になってしまって。
もちろん家の中でも写真は撮れるし、周りには色々工夫しながら写真を撮り続けている人もいるし、そういう人たちは素直にすごいなぁと尊敬するんだけれど。
僕自身は今までずっと良い景色の中で写真を撮ることを常としてきたし、少数と言えどなかなか誰とも会わずに外出するというのは難しくて、どうしても気疲れしてしまうので。
とは思いながらも、ずっと家を出ない生活をしているとどうしても気持ちも沈んでしまって。そんな訳で久しぶりに写真を撮ってきたんです。
この一ヶ月、カメラを一切触らない代わりになぜかゲーミングマウスとゲーミングキーボードと240Hzのゲーミングモニターが生えてきて一日の大半の時間を共に過ごしてきたんだけど、久しぶりにカメラに持ち替えました。APEXは少しだけうまくなりました。
この季節、あまり人がいない場所と思って懲りもせずに海へ。でも同じ様なことを考えてる人もかなり居るようで。思ったよりも人が多くて結局1時間も経たずに帰ってしまったんだけど。
本当にカメラの事なんて全部忘れて過ごしてきたのでまともな写真なんて撮れないんじゃないか、と不安もあったんだけど。だいたいのことは素敵なカメラと素晴らしいレンズが解決してくれるんだなと思ったよね。
鴨を撮ってると写真を始めたばかりの頃を思い出すんですよね。切り取り方は昔とはだいぶ変わったけど、やっぱり目が留まる被写体って変わらないんだなって改めて感じる事ができて。
ずっと、毎週の様に何百枚、何千枚と写真を撮っていると、なんていうか、だんだんと欲みたいなものがでてくるんですよ。こんなつまらない写真を発信しても意味がないなとか、もっと良い瞬間の写真が撮れないならボツなんじゃないか、とか。
たった一ヶ月撮らないだけで初心に返るっていうのもなんだけど、自分がいいと思ったモノを残した写真なんだから、それはそれで正解だと思うんです。自然体で撮れる写真を、着飾らずに発信するのでいいんじゃないかなって。本当に写真を撮りはじめた頃に、技術も知識もないのに最高に楽しんでて、史上最高にいい写真が撮れたみたいに喜んでて。
今はあの頃の一枚とは違うけど、構図が、色が、被写体が、タイミングが、なんていう細かい事はひとまず置いておいて、自分が良いと思って撮った写真を素直に良いって思える気持ちも大切だな、と。
今の時期、特別な場所で特別な時間を過ごすことは難しいけれど。なんていうことのない日常でも、少しだけでも外に出ればその時を残すことができて。何気ない一枚が、数年後、数十年後にはきっと大切な一枚になるんですよね。
飾らない日常でいいんです。それが今なんだから。今は何もできないけど、だからこそ何もできない今を残せば良いんじゃないかなって。いやもっと珍しいところに行きたいし、いろんな絶景も見たいし、おしゃれな写真も撮りたいし、完全に強がりなんだけども。
でも、できない事が多いからって毎日を無為に過ごす必要もないですからね。やっぱり人のいるところに行くのはまだちょっと抵抗があるけど、だからって何もできないわけじゃないんだし。なんだ写真撮れるじゃん。
久しぶりにカメラを構えて、シャッターを切って。「あぁ、やっと帰ってきたんだな」って。大して離れてもいないし変な話だとは自分でも思うんだけど、1枚シャッターを切って本当にそう思ったんですよ。
最初の方でも書いたけど、外出できない代わりに最近ずっとゲームしてて。プロゲーマー目指すのかなって勢いで機材揃えてゲームしてて。いやうんゲーム楽しいよね。めっちゃ楽しい。最近は割と本気でそれで満足してる感があって、まぁ今外出できないしそんなもんだよな、くらいに考えてたんだけど。
なにかこう言葉にできないモヤモヤがずっと残ってて。やっぱり僕は写真が好きなんだなって。
よく考えたら2017年1月からカメラを趣味にして4年間、カメラの事と写真の事を考えなかった日は本当になかったんですよね。たった1ヶ月の空白期間だけど、48ヶ月ぶりにカメラの事を忘れた1ヶ月だったわけです。
こうやって写真に対する熱意って冷めていくのかな、いつか写真も撮らなくなるんだろうななんて一瞬考えたりもしたんだけど、まだまだ僕は写真から離れる事は出来なそうです。
心から思いっきり写真が撮れる日が、一日でも早く帰ってきますように。