こんにちは。しむ(@46sym)です。
「カールツァイスのレンズが好きです!!!」とずっと言い続けてそろそろ3年経ちます。カメラ歴3年ですけど。
そんな僕なのですが「ツァイスってプラナーとは別物なの?」という質問を受けて気づいたんですよね。これはツァイスの認知度を高めるチャンス。
と言うわけで、今日はカールツァイスについてじっくりとこの上なくねっとりとお話したいと思います。
ツァイスレンズに向けた第一歩。沼の入り口へようこそ。
Carl Zeiss(カールツァイス)はドイツの光学機器メーカー
早々に答えだけ書いておくと、Carl Zeissはドイツ生まれの光学機器製造会社の名前。カールツァイス社の創立者であるカール・フリードリヒ・ツァイスの名前から取られた社名。
現代ではカメラのレンズだけでなく、メガネのレンズ、双眼鏡や望遠鏡、プラネタリウムの投影機など、様々な光学機器製品を生産しているメーカーです。
厳密には「カールツァイス財団の傘下にあるカールツァイス社」なのですが、僕らカメラ界隈でカールツァイスと言えばカールツァイス社なので特に細かい事を気にする必要はありません。
上で触れた「ツァイスとプラナーは別物なのか」という質問に答えるのであれば「カールツァイス社の生産するプラナーと言うレンズ」と言う事。
これで全部解決なのですが、せっかくなのでカールツァイスについてゆっくりと触れておきたいと思います。
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プラナーってなに?って話になるとまた深い話になってしまうので、これは後日改めて。
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この先は興味のある人だけが読んでくれたらOKです。
Carl Zeiss(カールツァイス)の歴史
カールツァイスの創業は1846年。ドイツにあるイェーナという都市に設立されました。設立当時に作っていたのは顕微鏡。
この後、より高い精度を求めるためにエルンスト・アッべという数学を専攻する大学講師に助言を求めたり、その10年後にはアッべをカールツァイス社の共同経営者として引き入れたり。ずば抜けたガラス光学の技術を備えるフリードリヒ・オットー・ショットに技術提供を受けていたり。
この頃にアッべが作ったカールツァイス財団が現代でも続いていたり、財団の二大事業がカールツァイス社とショット社だったりするのですが、なんていうかベンチャー感がすごい。170年前の繋がりがこの現代に紡がれているだけでゾクゾクする。
この時点で1883年。30年をこんなに駆け足で説明した理由はたったひとつ。まだ写真部門がないから。
みんな大好きカールツァイスの写真部門が設立されたのは1890年。創業から30年以上過ぎた後の話です。
カールツァイス 写真部門
1888年に数学者・物理学者のパウル・ルドルフをカールツァイス社に引き入れてから2年後の1890年に設立された写真部門。
部門長としての役職を持ちつつも開発者として従事していたパウル・ルドルフが設計したレンズの中で、現代でも多くの人が触れているのが
- プラナー(1896年)
- テッサー(1902年)
の二本。
現代に受け継がれる名玉が100年以上も前に開発されている。こんな歴史に触れるだけで魅力が倍増してしまいますよね。テッサー欲しい。
東西分断とカールツァイスの分裂
一気に時代が飛びますが、第二次世界大戦頃のお話。
歴史に聡い方もそうでない方も、第二次世界大戦でドイツが東西に分断されてしまった事は知る人が多いと思います。
カールツァイス社のイェーナは東ドイツ。ソ連の統治下。
当時のカールツァイス財団は光学機器メーカーとしても一流。軍事的にも有用性の高いその技術力は、当たり前の様にどの国でも欲するものでした。
そんな背景もあって、イェーナにあるカールツァイス社をソ連がそのまま手中に収める事をよく思わない人たちがたくさんいるわけです。
アメリカ軍はそれを行動に移してしまったわけで。
ソ連軍に先行してイェーナに入ったアメリカ軍は、「カールツァイス財団の技術者や経営者、その家族125名」に加えて「8万枚の図面」を拉致して西ドイツのオーバーコッヘンへ移動。「カール・ツァイス・オプトン」として光学機器の製造を続けました。
東に残ったカールツァイスは「カール・ツァイス・イエナ」として半官半民の光学機器メーカーとして存続。
ドイツの東西分断に合わせて、カールツァイス社も分裂する事になってしまったのです。
どちらもツァイスなものだから、商標周りとかで揉めに揉めた訳です。そりゃあどっちも「俺がカールツァイスだ!」って言いたいですもんね。
と言うわけで最終的に
- 西ドイツ圏:西のカールツァイスがCarl Zeissを、東のカールツァイスはCarl Zeiss Jena(カール・ツァイス・イエナ)を名乗る
- 東ドイツ圏:東のカールツァイスがCarl Zeissを、西のカールツァイスはCarl Zeiss Option(カール・ツァイス・オプトン)を名乗る
- アフリカ、アジア、中南米:双方とも「Carl Zeiss」でOK
- 日本とイギリス:双方とも「Zeiss」とする
と取り決められたのです。なんだかわけわからないですね。
この時代に作られたレンズで今でも名前を聞くのはビオゴン、フレクトゴン、プラナー、ゾナー、テッサー、ディスタゴンあたり。
オプトンゾナーとか今でも耳にしますよね。ほしくない?
カールツァイスの再統一
東西に分断されていたドイツが再統一されたのが1990年の事。それに合わせてカールツァイスも再統合される事になりました。
東ドイツ、イェーナにあったカールツァイスは経済の低迷に合わせて、西のオーバーコッヘンのカールツァイスへ吸収される形に。
こうして1846年の創業以来、イェーナに存在していたカールツァイスは150年ほどの時を経て西ドイツのオーバーコッヘンへ移った事になります。
カールツァイスレンズの製造元
近代のカールツァイスレンズは、カールツァイス財団で製造されているものではなく、提携企業によって製造されているもの。
フィルムカメラ時代にヤシカ・京セラ(京セラオプテック)で製造していたCONTAX、現在でも製造を続けているコシナによるカールツァイスレンズが多くを占めています。
その辺りは先日詳しくまとめた記事があるので参考にしてもらえれば。
これを読むともっとツァイスが楽しめる
今回、カールツァイスについてまとめましたが、Wikipediaや書籍なんかでもっと詳しく掘り下げて色々と知る事ができます。
そんな中でもユニークで楽しく、読み応えのある一冊がこちら。
参考 ヨドバシ.com – フォトヨドバシMOOK GAPPURI ZEISS(がっぷりツァイス) [ムックその他] 通販【全品無料配達】
みんな大好きフォトヨドバシから生まれた、限定2000冊のオリジナルムック。書店では売っていない、ヨドバシ店頭もしくはyodobashi.com限定販売の書籍です。今回記事にした内容も、もっともっと詳しく、楽しく書かれています。
正直僕程度が記事にするまでもないくらいに詳しく書かれていて、読み応えもあって、引き込まれる文章。
この本を紹介するためにここまで書いたと言っても過言ではありません。
もちろん、ツァイスレンズで撮った、フォトヨドバシクオリティの写真が大量に詰め込まれています。(というかそっちがメインで、ツァイスの歴史は間に書かれているだけなのですが)
今回の記事を読んでツァイスに興味が生まれた方はぜひ、購入して損はない一冊だと思いますよ。